大河ドラマ「西郷どん 」、実はちゃんと見れてないです……ハヤシ(@PackerJohnny)です……。
西南戦争(西南の役)は、不平士族による近代日本最後の反乱であり、九州全土で約8ヵ月間に渡って続きました。
伊佐市にも激戦地となった場所があり様々な痕跡が残っています。
今回はそんな痕跡の数々をご紹介します!
西南戦争の戦況(伊佐市内での戦闘を中心に)
戦いのはじまり
明治10年(1877)2月15日、薩軍本隊が熊本に向けて鹿児島を進発し、西南戦争が始まりました。
高熊山・坊主石山の戦いー
5月2日:政府軍、水俣から山野へ進出
政府軍は水俣に到着し、5日には山野に進出しました。これを阻止する薩軍は6日に政府軍と戦闘になりましたが、薩軍は敗れ、官軍は郡山に進出しました。
5月9日:薩軍(辺見十郎太)、政府軍を撃破
薩軍の辺見十郎太は、人吉から木ノ氏に入り、10日に進撃を開始。激闘の末、政府軍は水俣へ敗走しました。
6月3日:薩軍、高熊山・坊主石山に陣地を構える
政府軍は行動を開始し、8日には小川内まで進出しました。一方薩軍は、辺見十郎太率いる電撃隊が坊主石山に、池辺吉十郎率いる熊本隊が高熊山に陣地を構え、政府軍の攻撃に備えました。
6月18日:政府軍、高熊山・坊主石山への攻撃開始
政府軍は高熊山、坊主石山の薩軍への攻撃を開始し、激しい戦闘の末坊主石山は政府軍に奪われました。19日、政府軍は高熊山を包囲して砲塁を築き、大砲をもって激しく攻撃を加えます。
6月20日:薩軍、破れ敗走
薩軍はついに敗れ、大口に後退しましたが、大口でも敗れ、曽木・針持・菱刈・湯之尾に退き、6月25日には横川方面へ敗走し、2ヶ月に及ぶ伊佐地域での戦闘は終結し政府軍の支配下に置かれることとなりました。
伊佐市に残る西南戦争(西南の役)の痕跡
高熊山 @伊佐市大口木ノ氏
高熊山とは?
高熊山は、伊佐市大口木ノ氏にある標高412メートルの山で、明治10年(1877年)6月に政府軍が大口方面に侵攻した際、西郷軍と激しい戦闘が行われた激戦地の一つです。
高熊山へのアクセス・駐車場について
大口温泉高熊荘のすぐ近くに高熊山への入り口はあります。
入り口には看板が立っています。
突き当たりを左に進みます。
道は決してよいとは言えません…。十分注意して進んでください。
側溝と崖が続き、カーブミラーもないので最新の注意が必要です。
2km弱登ると頂上に着きます。10台ほどは駐車可能可能かと思います。
高熊山頂上の様子(慰霊碑や弾痕・塹壕の跡)
頂上からは美しい伊佐の街並みを眺めることができます。
大きな慰霊碑が建てられています。
こちらは弾痕の跡です。ここだけでなくたくさんの岩に弾痕と思われる穴があいており、当時の銃撃の凄まじさが容易に想像できます…。
塹壕の跡もたくさんあります。
頂上の大きな岩の裏手には、小さなお地蔵様がありました。
※トイレがあるのですが、矢印の箇所は非常に滑りやすいので十分ご注意ください。
【関連地①】熊本隊墓地 @伊佐市大口木ノ氏
政府軍が大口方面に侵攻した際、高熊山に陣地を築いたのが熊本隊でした。その際に戦死した熊本隊士を埋葬した墓地が高熊山の麓につくられ、現在も供養が行われています。
場所は少しわかりづらいです。堅山自動車さんの隣の坂道を少し登った右手です。
【関連地②】無名兵士の碑 @伊佐市大口篠原山ノ口地区
政府軍が大口方面に侵攻した際、西郷軍の逸見十郎太率いる雷撃隊 は、坊主石山を陣地として激しい戦闘を行いました。 戦闘後、坊主石山の麓には西郷軍兵士37人の遺体が折り重なり放置されたままだったため、地区の住民が埋葬し墓碑を立て供養を行ったそうです。
こちらも少しわかりづらい場所にありますが、伊佐市教育委員会の目印が立っています。
【関連地③】辺見十郎太の涙松跡 @伊佐市菱刈市山
西郷軍が敗走する際、雷撃隊隊長の逸見十郎太は、現在の池田橋付近に当時あった松並木で馬を止め、高熊山を振り返り遠望しながら、
「死を堵して固守すること四句余の山塁、いまこの要害の地 (高熊山)を糞鎮(政府軍)に奪わる。あぁ、吾が事終った。今は鹿児島に帰って死に就かんのみである。」
と嘆き、涙を流したと伝えられています。 以後、地元ではこの松は「逸見どんの涙松」と呼ばれ保護されていましたが、落雷のため枯死するなどして松自体は現存しておらず、地元有志によって記念碑が建立されています。
国道268号線沿いの、市山川に架設された池田橋の路傍にあります。
【関連地④】招魂碑(忠魂碑)@伊佐市菱刈川北
西南戦争後、各地に西郷軍の戦死者を供養するための招魂碑(忠魂碑)が数多く建立されました。中でも、伊佐市菱刈川北の湯之尾神社前に建立された招魂碑(忠魂碑)は、西南戦争終結後もっとも早く建立されたものの一つと言われています。石碑には、
「後世義膽ノ遺霊、空シク泥理ニ堕スヲ恐レ」(後の世に、義の魂を持った 英霊が空しく泥にまみれるのを恐れ)、「永エニ壮士ノ義志ヲ四方ニ表ワサント欲シ」(永久に男たちの義の志を四方に示すことを望んで)
と記されています。 現在でも西南戦争が終結した9月24日に、湯之尾地区の方々が招魂碑の前で慰霊祭を行 い、戦死者の霊を慰めているとのことです。
高熊山のおすすめポイント
● 頂上まで車でアクセスすることができる!
● 弾痕や塹壕跡がそのまま残っており、当時の様子が目の前に浮かぶ!!
● 麓には大口温泉高熊荘があり、気持ちのよい湯に浸かれる!!!
伊佐市に残る西南戦争(西南の役)の痕跡の情報
名称 | 高熊山(たかくまやま) |
住所 |
鹿児島県伊佐市大口牛尾
|
電話番号 | 0995-22-1613(伊佐市教育委員会) |
営業時間 | – |
定休日 | – |
駐車場 | 約10台 |
熊本隊墓地
無名兵士の碑
辺見十郎太の涙松跡
招魂碑(忠魂碑)
こぼれ話
高熊山に行ってから、なんだか左肩が重いような気がしています……。
一人で行くと、ちょっとゾワっとするようなしないような……みなさんぜひ実際に行かれてみてください!